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2006年01月09日

Redesign


拡大します

Responceより、車好き、特にスーパーカー、スポーツカー好きには堪らないニュースが飛び込んで来た。
かの名車、ランボルギーニミウラのリデザインだ。

ここで引っかかる“リデザイン”という言葉、今日も同士で上司の上手に坊主の絵を描いたH氏と、往年の名車について語っていた矢先のニュースである。(この話は途中で終わった、ま、世間話程度ではあったが)
いわゆる“スーパーカー”世代ではない僕だけど、純粋にスーパーカーの持つ夢と存在を知らしめるフォルムには並々ならぬ思い入れがある。
今日のH氏との会話の内容も、往年の日本名車のあの希望と夢に満ちたスタイルを現代に。といったような内容なんだけど、その話の後も僕の頭には常々考えていることなので残っていったんですが、時代という切り取りで考えると、僕は過去の名車の復活は望まない。このミウラにも同じことを思う。
レトロデザインだとか、リファインだとかは大好きなんだよ。もちろん、“リデザイン=再設計、再構築”ということは、素晴らしいコトだとも思う。
ここでの僕の観点は、“過去は過去、今は今”という割り切りなんですね。
往年の名車の役目は十分に果たしたんだと思うよ。その世代のみならず、20代の僕にまでこんなにも根強く波及してるんだから。
もう一度同じものを作ったって、それは確認でしかない。

リデザインという言葉においてという前置きをさせてもらってだけど、
具体的に言うと、僕はミウラという過去の名車の産物に授かった焼き直しは時代に逆行するものであるならば、それは全くもって意味を持たないことだと思う。一部のファンはノスタルジックな思いに耽って、大いに盛り上がることだろう。でも、現代の音楽シーンではビートルズは役目を果たしている以上、ジョンレノンを恐山のイタコで呼び起こして再結成しても無意味であること同義で(それはそれで見たいが)、その流れを組んだ、現代以降の未来に向かったベクトルでないと意味がない。
デザイナーのエゴだとか、純粋なモノとしての評価には乏しいものがあるだろう。

このミウラがそうだとは思っていないし、まだ今の時点では、そういう判断自体、時期尚早だろう。
でも、できればミウラという名前を使って欲しくなかったな。リデザインというならば。

時代は繰り返すという手あかにまみれた言葉を使いますが、本当にそうだし、だけど、それは全く同じものではない。正しい(かどうかは分からないけど)系譜というか、流れを汲んだ、進化であって欲しい。
確実に近い将来、現代版スーパーカーブームは来るだろうと個人的に思っている。でもそれはきっと“あのころの”スーパーカーブームではなく、“現代の”スーパーカーブームである。でもスーパーカーであるかどうかすら誰にも分からない。
本当に人に受け入れられるものでないといけないと思うし、そもそもブームってのはそれ自体を戦略的に作ることはナンセンスだと思う。でないと一過性の“流行”で終わってしまうだろうし。ムーブメントは、それ自体を作るものではなく、結果的に起こるものであるから。

ひとつの判断基準として、あの頃の“スーパーカーブーム”もそうだっただろうけど、子供たちが一番熱狂したんだよね。
今のムシキングとかのカードみたいに大流行したらしいし。“子供”は、本質的に魅力のない商品に対して絶対“良い!”なんて言ったりしない。いつの時代も、この子供の評価ってのは重要だと思う。
過去のブームの世代が今の日本を担ってんだから。その感動を知っていて、夢と希望の良い意味での子供っぽさを、ぜひ何らかのカタチでこの世に残して欲しいし、次の世代に伝えて欲しい。そして、僕もそうできる人間でありたいと思う。
過去のスーパーカー世代を喜ばせたところで、ビジネスにはなりうるだろうけど、それは“夢と希望”というには、あまりにも現実的すぎる。
今、この世に売れるデザインっていうのは、本当に必要なのかな?

つまるところ、ランボルギーニ社のデザイン部長、ワルター・デシルバ氏の言う“Redesign”という言葉の本質を楽しみに見守っていたいと思う。

印刷・ホームページ制作はstudiobp

コメント

あらら、ミウラまでまた作っちゃうんですか。
最近というか、少し前から過去のクルマの復刻版みたいなイメージのクルマは結構多いね。

そのメーカーが持つデザインの財産として、過去の名車のイメージをモチーフにするのは個人的にはアリだけど、そのまんまだとちょっとしんどいかな。