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2006年06月11日

ナショナリズム

102.jpgワールドカップも開幕し、どういう訳か毎試合かかさず見てるiDです。

さて、トリニータなんたらとスウェーデンの試合は引き分け、初出場のトリニーなんちゃらは、まるで勝ったが如くの盛り上がり。攻めあぐねたスウェーデンは負けたような表情。

サッカーが好きな理由としてひとつは団体競技であるということと個人競技であるということのバランスが非常にイイこと。どちらかが秀でても絶対優勝が出来ないワールドカップ。

もう一つは、我々日本人には馴染みの薄い“国民性”です。

言わずもがな、我々には敗戦国であるがゆえ、欠落しているというよりは排除されてしまった、必要な“国民性”という考え。
“お国のために”と聞けば、どうしても“富国強兵”とか、“欲しがりません勝つまでは”とかという言葉が出てくる。

そのくせ、“協調性”を求められる所以は“みんなが困らないように”だとか。

僕自身、国民性なんて言葉、全くもって意識したことも無かったし、国のために何か・・・とか言う発想で何かをなし得たことも無かった。政治家にも興味はないし、悪いことまでしてお金が欲しいとは思わない。

でも、最近の日本人にはそれはそれで問題だなと思う。

別に“国民性”がすべて暴力的だとか、戦争とか、間違った方向に結びつく訳ではない。

少なくとも、この国に住んでいる以上、無視できないと思う。
別に、W杯で負けて帰ってきても、殺される訳でも無いし、日本という国が変わる訳でも無い。

でも、現実、PKを外して殺されるなんて事件があるのだ。

そういう事件があるなしにかかわらず、「そうされるかもしれない」と思って戦う人たちにどう挑むのだろう。
別に日本代表のメンバーが“国民性”が無いというのではなく、歴史的に“排除”されてしまった国の代表として、どこまで勝ち進めるか。非常に楽しみである。

話は移って、この“国民性”にも似ている状況だけど、僕は所謂“雇われ”の人間ではない。
自分のいや、会社の食いぶちは自分たちで稼がないといけない。

まず、僕自身は待っていてもポンポン仕事が入ってくるスタークリエーターでも無いし、なんでも出来る器用な人間じゃない。自分の挙動そのものが、ダイレクトに会社としての現実として跳ね返ってくる。
ミスすれば、それなりに会社で雇われていた時とは違う責任がある。時間に関する考え方も違う。やはり限られた人間と時間の中で出来ることを確実に結果に結びつけていかなくてはいけない。

少なくとも表に出れば“会社代表=会社のナショナリズム”として動かないといけない。

実は、それが楽しいのである。ま、ストレスも多いが。

つまり、個人の意識の問題で「ナショナリズム=背負っているもの」の種類によるが、その自覚がやりたいことをするために如何に必要で、生きる術を磨く上で如何に重要な要素かということを気付かされた気分である。
ただ、僕は個人事業者ではないので、一人じゃない。でも、今までの会社勤務経験で得た「同僚」という意識はない。

本当の意味で「仲間」だと思えなきゃ仕事は出来ない。

サラリーを得てデザインをしていた頃の自分のそういった「会社のナショナリズム」としての意識が低かったかを思い知らされる。

以前の職場に「ナショナリズム」が無かった訳ではない。気付かなかったというか、そもそもの意識が低かったのだ。悪かったのは僕だったんだ。

僕は思う。

なぜ最近「独立」を周りに勧められたか。
日本人である以上、モノが溢れ、なんでもある程度は好きなものが手に入る、当たり前の生活ができる日本人にとって必要なものを再認識した気がする。

最近自主性に欠ける若者が、、、というが、違うんだ。始めからそんなもん、この国には無いのだ。
自主性=自分勝手と履き違えた、この国独自の腐ったオリジナリティ。
だからこの国は変わった目で海外から見られるんだな。

でも最近、そうではない人たちにたくさん会えることで僕も頑張らなきゃと思うことが多い。
あと、やっぱり、他人のオリジナリティを大切にするあまり、意見を言えないのも良くないなと思う。
それは、自分に対するある種の甘えなんだなと思う。

謙虚に、厳しく、しっかりと自分を育てていこう。今日はいい休みだった。

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