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2006年11月03日

Think About id

061102.jpgある日、友人のアメリカ人に、「お前、自分の名前をidって言ってるけど、意味はちゃんと知ってるんだろうな?」と言われました。

「もちろん」僕は答えました。「単なるイニシャルだよ」と。
「違うよ!Wikipediaで調べてみなよ!すごい意味なんだぜ!」そう返されました。

実は、ちゃんと知ってますよ。でも、あんまり恥ずかしいから公にしませんでした。ましてや、それを英語でやり返すボキャブラリも無かったもので。。。

「私は私である」諸法無我を解いた釈迦の言葉。「私」という「自我」、それを「規制」する「超自我」、その間に位置する「イド」。

感情や欲求、衝動的な反応を自我に伝える「最も自分らしい自分」。

で、話は変わりますけど、先週ほぼ一週間東京に行っていました。その中でも、特別に自分の中でのイベントとして見に行った「サルバドール・ダリ」の回顧展。

彼をこのタイミングで見るっていう事、自分を見つめ直すこの機会、自分という存在、ダリ。

前に見たダリは確か、二十歳そこそこの、自分史上、一番のぼせ上がっていた時期というか、勘違いの多いというか、自分を知らないというか、実在でしか、何もかもを確認できないでいたというか、まぁ、そんな時期です。でも、僕にとって一番大切な時期でした。

「私が私の事を分からないのに、どうして他人が私の絵の事を分かったように言うんだ」

こんなニュアンスの言葉を彼はその時の僕に伝えた気がします。しかもガン見で。
「知ること」こそ、彼の絵を描く最も大きな衝動、欲求だったのかも知れません。彼にとっての「イド」のひとつ。

今回の作品は見る側(僕)の意識の違いもあってか、言葉に詰まるというか、なんというか、んもぅ、それらが全部涙となってこぼれ落ちるしかなかったです。

ここ何年か、どれだけ悩んでも、どれだけ辛くても泣かなかったのに(あ、ドラマとかでは泣いてた)、その時の量ったら半端ない。もう「言葉にならない言葉の洪水」です。

実際、彼の絵を前に僕は無力でした。

今でもその時の感動は信じられない。
だって、あとで買ってきた画集を見返しても何にも思わない。「スゲェなぁ。」くらい。(永久保存版だけどな!)

タイミングだったのかと言われればそうなのかも知れないし、真理を突かれたと言われればそれもそうだろう。
事実、涙として流れたのは、痛い時やドラマ見て泣いた時のそれじゃなく、片栗粉混ぜたくらいドロッとしてて、かに玉のタレくらい熱かった。

最期の絵を見た時には、美術館を飛び出すしかなかった。西郷さんの銅像の近くで嗚咽をあげながらベンチでこっそり泣いた。(テヘッ)

まぁ、それで、「あ!!!!画集買ってねぇ!!!!」ってことで、半券見せて、無理やり出口から入って、画集買ってやったけどな。

今になって思うのは、なんか現状に満足しない自分の不満が衝動的に噴き出したのかなって思う。

その満足って、思ったより近くにあって、でもそれって今しか手に入らないものなのかなって思う。

満足って言ったらちょっと違うけど、なんというのかな?んんんん。

なんかそこで、冒頭の友人との会話を思い出した訳です。

僕は、ダリのようにアーティストではないし、いちクリエーターであるという自覚の中で、真理ではなく心理を突くのが生業で、「自分に何ができるのか」ということを常に考えつつ。次のチャレンジに。
なんか、また「節目」を感じた、そんな秋でした。

かぁ〜!いい人生送ってるじゃんって、自分に言えるように。
前にダリを見た時より、比べ物にならないくらいの人々に支えられている現状に感謝。

僕に多くのものをもたらしてくれて、いつも刺激をくれて、いつも困らせてくれる大切な人に。あなたにできる事はたくさんあるよ。事実、いつも感謝しています。リラックスしてます。
やってあげてる実感なんてな、やってる本人に湧かないんだよ。だって湧いてたらそれ、本心じゃないから。

かぁ〜!今日は長い文章だ。許せ!2日前から風邪引いて、熱がまださがんねぇんだ!

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