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2007年01月25日

美は武が如し強きもの

070125.jpg週刊モーニングで連載中の著:山田芳裕による「へうげもの=読:ひょうげもの」が面白い。先日、最新刊4巻の発売に合わせて全巻再読破。
2007年、最も評価が高くなるであろう1冊だ。

最近、僕個人も非常に興味のある「茶の道」その精神を学びたい気持ちで本気で始めてみようかと思っているほどだ。
実は、僕の名字の「伊丹谷」ですが、江戸の頃には「伊丹屋」という名の堺の商人でした。今でも、大阪・堺にある歴史博物館的なところにはキチンと記録が残っております。(しかも偶然に、すぐ隣で同じく商人をやっていた池田屋という味噌屋(=今でも住吉に現存)の子孫は僕の行ってた大学理事長なんすよ。

まぁ、その「伊丹屋」さんは、言い伝えによると千利休(=千宗易)お仕えの弟子のうちの一人であったといわれている。(この点の歴史は、資料の少ない事象であるが故、確証はないらしい)
まぁ、僕自身、なんらかの関わりがあったんだろうと勝手に考えて、四百数十年の時を超え、ロマンチシズムに乗っ取っているのだ。といったら元も子もないではないかと思っても大人だったらお口チャック。

実際、なんの因果か僕も一応産業芸術ではあるが、「デザイン」という一端を曲がりなりにも生業としていることもあって、特に「美」という考え方にも非常に興味がある。
「何もない空間、空白こそもデザインの重要な要素だ」ということを大切にしたいと思っていた点で、先人・宗易の、特に無駄の一切を省いた「美」というものに共感することも多く、そういう観点から物事を見てしまう。

僕の得意とするスタイルのデザインを知っておられる方は、ご納得いただけるかもしれない。

森羅万象、それぞれの宇宙があり、共鳴し合い、成り立っている。それは、人としての佇まい(=この点に於いては誠に僕の未熟な点であるが)や存在するモノの様式に大きく寄与しているものだと思う。

世の「マニア」といわれる人たち、「オタク」といわれる人たちも、この「美」に対する姿勢という意味では非常に紙一重で、最近では「=○○」というようなカテゴライズしてしまう風潮によって、その絶妙な違いにすら目を向けなくなってしまっていることについては非常に残念なところである。

世が乱れることにより、人の心が乱される。そういう時こそ、「武」に頼るのではなく、「美」という力が本当に必要だと思う。
自分自身が世の中に与える影響など、たかが知れているか知れないが、少しでも「モノ」の在り方が正しい方向へ成り立つように、謙虚に精進していきたいものである。

僕の大好きな「一期一会」という言葉もこの利休による考え方である。
偉大なる総合芸術家、千利休に万歳。

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