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2007年10月10日

ろくな死に方せぇへんわ

071009.jpgあい、どうも。久しぶりにこんな時間まで起きてます。って若干早寝を自慢しがちのイタミアです。
しかし、世の中には「自分のことを棚に上げる天才」がいるもんですな。

「バチ当たるで!」そういって育てられたもんです。「バチ」って結局「付けが回ってくる」って事なんですよね。どんな形であれ、必ず人の人生プラマイゼロです。

なるべくなら、著しく人の感情を見出したり、他人に自分のケツを拭かす様な真似はしたくないもんです。

最近の子は(とか言いたくないが)携帯のメールを返さなかったらいじめられる事もあるそうで。そんなっやったらメール無精のオレ様は一体何人の人にいじめられなあかんのでしょう?

包丁で人を刺す事件が起きたら、「包丁が悪い」の一点張りで包丁が避難される。大人は子供に当たり前の「包丁の使い方」を教えないくせに、責めることの出来る対象を見つけたとたん、自分の事を棚に上げて「包丁」を避難する。なぜ、誰も「正しい包丁の使い方」を教えないのでしょうか?それが疑問で仕方ないです。
「包丁は料理に使うもんです」そのシンプルで、これ以上無い教育をなぜしないのですか?
なんなら、包丁職人の素晴らしさをさらに教え込むと良い。道具の素晴らしさは、モノで溢れかえるこの世の中では忘れがち。熟練の職人の命を削り包丁を研ぐ姿を知る必要があるのではないかと思う。
ま、それ以前に、「自分を知る」必要があるんですけどね。

オレらみたいなサービス業を生業とするからこそ、忘れては行けないのが、正しいものの使い方と、敬意と、人に対する思いやりです。

きれい事ではありません。それだけの気持ちを、パワーを使わなくてはいけないからこそ、判断することは非常に責任のあることなんです。簡単に投げ出す時点では、状況はどうあれ、判断が甘かった自分を戒める他ありません。

話がそれましたが、先のメールの話、何も今の若い子(とか言いたくないが)に限ったことではないと思う。たいそうな大人が、己のその甘い判断力で知らず知らずのうちに「避難の対象」を作っていることはよくある話。

自身も気をつけなければと、周囲に溢れる疑問の連続に首を傾げ、やや腹を立てながらも、この素晴らしい要素が溢れかえっている世の中を生きて行きたいもんです。

社会に汚点はいっぱいありますが、素晴らしいものに目を向ける、自分に生かすことのできる事象は枚挙に暇がありません。そう思えて仕方ないのに、自分のことを知らない輩が、ごたいそうな、お世辞にも立派と言えないプライド先行の自意識を棚に上げて申します。住む世界が狭いとか、人としてどうかとか、言う資格はオレには無いかもしれませんが、オレが言わなくても「ツケは回ってきます」気付いてからでは遅いけど、それでしか気付けないのなら仕方ないのかもしれないし、気付いたらラッキーかもねと思って見過ごすことは非常に辛いですが、残念ながら、それこそきれい事を言って構っている暇はないので、とっととサヨナラです。では、この辺で線を引き、前に進むとしましょう。

あ、そうそう、「あんた、ろくな死に方せぇへんわ」。

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